ミッフィーのブログ

明日への扉を開きたい

察することが出来ない人たちと暮らすこと

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この記事面白いです。

最近自分でも私は非日本人に対して察することを常に要求するという無茶をしているなぁとようやく気付きがあり、何でも言葉で言うことを学んでいるところです。

例えば夫に対しても、腰と手が痛いから、重いものは持てない、鍋は洗えない、買い物も一人ではいけない。だから代わりにしてほしいということは私にとってはなかなか言いにくいことでした。というのも、それくらい言わなくても見れば分かるだろう?こんなにひどい怪我をしているのに!という日本人相手だったら問題ないかもしれないけれども非日本人相手には残念ながらほぼ無理な要求です。

だから、察することが出来ない非日本人を見て、この人は頭の回転が遅いとか、気が利かない、配慮がない、人の気持ちが分からないと決めつけていたところがあります。単に日本人ではないというだけなのでした。反省。

実は言葉を使って頼んだら喜んでしてくれるのに、私が言葉を使ってなかっただけなんだったのかも?とようやく悟ったので、最近はお願い三昧しています。

義理の母も同じなのです。察することなど不可能な人です。だから、以前に私はスカーフを集めているから、何か私にプレゼントを買いたいときにはスカーフにしてくれと言いました。それだって、プレゼントを上げたいと思ってないかもしれないのに、こちらから勝手な要求をして何だかとても欲張りな人だな私ってと思いましたが、義母はそれ以来スカーフを私に買いまくっています。結局何をあげていいのか困っていたのかも?

今更な気付きでしたが、今度からは自分のしてほしいことはしっかり言葉にして言えるようにしていきたいと思います。